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2004・1・2・4・5
2004/5/5 ヒトリノ時間
GWの最終日、降っていた小糠雨がいつしかやんでいる。
しっとりした空気が、肺に心地よい。
昨日は一日風が強かったけれど、本を読みつかれて、夕方ふと窓を開けると、わくわくするような南っぽい匂いがした。
雲の筋が美しい。
自分が自分に戻る、時間。

これはたぶん、
わたしが家族や他の友人たちとの絶対的な関係を信じているから豪語できるのだとわかっているのだけれど、
ひとりで怠惰に過ごす1週間が好きです。
誰ともしゃべりたくない。外にも出たくない。
昼も夜もなく、だらだらと過ごす。
やがてようやく、ニュートラルになれる。
そのためにGWはまさに、うってつけ。

「退屈ってしたことないだろ、思いもかけないだろ」
20年くらい前、そう指摘されて、
そうか、普通ヒトは時間を持て余すのか……と改めて知った。
(ちなみに当時も今も、退屈な人間と過ごすと退屈するのだが)
実際、ひとり遊びにはことかかない。  

念願かなって工房のサイトを全部書き換えた。
(仕事?なんだけど、半分は趣味とも思える。アップは休み明けに、リョウちゃんに内容チェックしてもらってから)
念願かなって、燻製にも挑戦。
チーズとサーモンとゆで卵と鶏肉をアールグレイ(紅茶)で燻す。
やっぱ、こんなもんかあ〜という出来。
でも、ようやくトライできたことが、満足。

自分で何かを創ることに飽きれば、読みたくて積まれた本がぶんぶん唸っている。
厚いハードカバーを一気に読みくだす快感。
最近、クールな女性作家を読むことが多い。
桐野夏生とか山田詠美とか。
「悪童日記」も再読。関係ないけれど、アゴタ・クリストフとアガサ・クリスティの名前の相違を誰かに確かめたいな。

この数日で読んだ数冊の本で、作家の褒め言葉として「チェーホフのようだ」と繰り返される偶然。
チェーホフなんて、退屈なだけじゃんともうずっと読んでいない。
作家は名誉だと思うのだろうか。(それにしても、褒める芸がなさすぎ)

そして身近な文化として一番エキサイティングなのは、上質なテレビゲームなのだ。青いけれど練られたシナリオ、野暮ったいほど作り込まれた美術、秒単位で進歩していそうな技術。若い才能が注ぎ込まれている。
プレイヤーとしては、コツコツと自分の不器用さと向き合う面白さ。

明日の自分への助走……。

  

2004/4/29 しばしサヨナラ (5/1に少し文章、手直ししました)
戯曲スクールが終わって、
半分も出席できず、劇作以外のレポート提出もゼロという、主催者側に対して実に申し訳ない生徒だったのだけれど、
まあ、いろいろと、人生は見直せた気がして。
ありがとうございました。
しばらく、劇作はしないと思います。
…………。

まんが家をしながら、某劇団で営業の手伝いみたいな真似事をしていたころ、
大好きだった男がその劇団で役者をしていた。
当時その劇団は、大型プロジェクトを次々と打ち出し始めていた頃で、かれは1年間、ひとつの役しか出会っていないナンテ状況だった。
かれにとって、それでいいのか?
もっといろいろな役と出会わなければいけない時期なんじゃないの?
気をもんだ挙句(さすがにプロである本人に、直に言う勇気はなかった)、
わたしは誕生日プレゼントに、かれに「新しい役」をイメージしてもらうことを祈りながら、戯曲を書いたのだった。

まんが家をしてたくらいなので、お話を組むことは問題はなかった。
ただ、劇空間をイメージすること、時間をイメージすることがまるでできない。
まんがというのは、最低限のセリフとコマ割リで全部説明してしまう。とにかく、長い台詞がかけなかった。
出来上がったものは、目を覆いたくなるくらい微笑ましいものだったけれど、
書く目的がすでに劇作ではないし、
読むのは世界中で相手と自分だけなのだから、
全然気にしなかった。


それから、まあ、いろいろとあって……。
わたしはかれを理由にしている自分が、嫌でもあって。
創作活動は一切やめて、
そして3年前から、おそるおそる劇作のスクールに参加した。


わたしはずっとかれから、卒業したかった。
誰のためにでもない、自分のために、劇を書きたかった。
でも気がつくと、いつもかれのイメージを引きずっている。書く、考えるスタイルを、変えられないのだった。
スクールの人たちも「誰のために書いているの?」とにやにやと尋ねる。
……ため息……。

でもまあ、
最初の2年は、とにかく自分が描きたいものを優先した。
半年ほど前から、自分はどんな観客のために、どんな劇場で、どんなスタッフと一緒に舞台を創りたいのだろうと考えるようになった。
イメージと現実のギャップ。
実現のために出会うであろう妥協。
その妥協を乗り越えて、その上に理想のかけらをようやく積み重ねて、たぶん初めてプロになれるのだと思う。
そこまでできる?
わたしはそれだけ、劇場に情熱を持っている?

現在、観たい舞台も皆無に等しい。
では自分で「観たい舞台」創ればいい。
ただ、舞台というものは、ひとりでは作れない。
周りを巻き込まなくては。
この3年、わたしは一緒に舞台を創れる「出会い」を求めていたともいえる。
出会えなかった、失望。
自分が受動態でしかなかったかもという反省。

そして、夢を見送る気持ちを固めさせたのは。
今年もエクソサイズに8人で1作、共同執筆をしたのだけれど、最終的に仕上がったものはあまり出来のいいものではなかった。
それはそれで、仕方が無い。でも出来る限りは話し合って、書きたいものを書いたはずなのだ。
評価の段になって、参加者の何人かが他人ごとのふりをしはじめた。自分は参加するつもりはなかっただの、自分はほとんど参加できなくて申しわけなかった、だの。
残念だった。腹が立った。
出来が悪くても、わたしは参加した作品には愛情があり、他人のどんな評価に対しても、反論と感謝をもてる。作品を庇ってやるのも義務のうちでしょう。
責任から逃げ出されることは、裏切りに似ていた。
そしてそこに、演劇プロダクションの縮図を見た気がした。
わたしはそれでも、そういう人たちと一緒に仕事をしていけるほど、乗り越えて夢を実現できるほど、劇場に劇作に情熱を持っているか?

歳をとってしまったのだろうか。
20歳の頃なら、きっとイエスと叫んだろう。


……それよりも。
わたしは今、一緒に工房を動かしている人たちをこそ、大切しなくてはいけないと思った。
工房に愛を注ごう。わたしの場所だ。
どんな評価に対しても、一緒に立ち向かえる人たちが、身近にいる。
大切にしなくては。
両立はできない。しては、いけない。
現在わたしは、声高に自分を表現・主張しなくても
生きていける人生を手に入れている。


スクールを通して、友人は残った。
それだけは、たからもの。
いつかまた、書くだろう。
おそらく、自分の楽しみのためだけに。

 

2004/2/18 マスク
会社で、ひどい風邪をひいたTと話をした。
嫌な予感がしたが、まさかアッチに行けとも言えない。
案の定、次の日から風邪をひいた。

体調を崩して仕事に支障をきたすなどとはもっての他とわたしに刷り込んだのは、
祐クンと前職のオーナーだった津川さんだと思う。
いつ代役に仕事をかっさらわれるかわからない役者たちにしてみれば、そりゃ当然。
休みの日はつぶしても、絶対に仕事は通常どおりを通すのが、当たり前。
もっともこれを他人にまで求めては、きっとカドが立つから黙っているが、まあ、社会人として基本だろうがという思いは底にある。

しかし、今回はちょっとキツかった。
いろんなことが重なって体力が落ちていたし、気持ち的にもナーバスな時期で。


工房の他のスタッフに風邪をうつしては言語道断なので、マスクをした。
女性の場合、ファンデと口紅がマスクの内側を汚すので、食事のためにはずすと、もう二度とかける気は起こらない。
1日2枚は使い捨てる勘定。

1日目、わたしはたまたま黒い上下を着ていた。
工房の中で、白いマスクに白い手袋。
かなりアヤシイ雰囲気。
で、ふと横を見ると、ダークスーツのリョウちゃんも、同じ恰好。(かれはもうすぐパパになるせいか、予防のために最近いつもマスクをしてるのだ)
そしてその周囲を取り囲むあやしげなレーザー機器。
笑い出したら、とまらなくなった。

来客は、黙ってわたしを凝視する。
ねえ、話を聞いてます? 
「え、ああ。すみません、もう一度……」
顔半分が見えないと、相手も戸惑うらしい。

ところが一旦マスクになれると、裸の鼻のまま夜の外気を吸い込むと奥がつーんとする。
自分の呼吸で、鼻や喉がしっとりと温かく潤っている快感。
ま、まずい、これはクセになる。


(もっとも風邪が治って、マスクは卒業しました)

   

2004/1/10 ニンジン……!!
マンションの狭いベランダに、ささやかなプランターがあって、
まあ、思いついてパラパラと種など撒いてみたりもするのだが、
もともといい加減な性格のこと。
成り行き任せというのか、たいして熱心ではないわけだ。

熱心に撒いてみたところで、その辺で買った種では発芽の方もいい加減なもので、だからなおさらムキにならなくなってしまった。
むしろ、雑草を楽しむ趣。

どこかの土産物屋で、かわいらしい野菜の種のセットを買ったのはどれくらい以前のことだったか。
ふと思い出し、おととしは確かにニンジンの種を撒いたのだが、何の音沙汰もなかった。だからすぐに忘れた。

去年はパセリを撒いた。
だから、
空気がもやもやとぬるくなったころ、育ち始めた黄緑色の繊細な芽を見て、わたしは思ったのだ。
パセリっていっても、変種のイタリアンパセリだったんだな。

1年が過ぎ、枯れたパセリを抜こうとすると、
根元になにやらオレンジ色の根の塊が、見えた。
えええええええっ。
半信半疑で抜き取ると、かわいらしいニンジンだったのだ、これがぁ……。

う、うれしいっ。
思いもかけず、いとおしいっ。

1週間ほど飾り、
せっかくの1本を腐らせたのを機に、残りの一本を千切りにして食す。
マヨネーズをつけることすら、もったいない。
濃い匂い、甘いしっかりとした味。
おいしい。
世の人々が、趣味に野菜を育てる気持ちが、わかった。
すごくよくわかった。

というヨロコビを、ある日、リョウちゃんとスズちゃんに話す。
「って、日本で一番汚れた空気と雨(三軒茶屋の環七そばなのだ)の中で育ったニンジンだろ?
怖くて食えるかよ」

いーーーーだっ。

  

2004/1/1

今年もどうぞよろしくご愛顧ください★


  

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